世の中には正しい歴史認識とは何かを重要な問題だと考えている人がいる。

たしかにアウシュビッツはなかったとか、強制連行はなかったとか、そう考える人が大勢になったら、徴兵制はあった方がいいとか言われそうでとてもイヤだ。
彼らにとっての悪とは何なのか、想像してみるのだがよくわからない。
私にとっての悪はとても明快で、労働を集約して得られる利益を必要以上に自分の懐に入れるということだ。
だからといって、等価交換の世界を理想だと考えているわけではなく、この悪をできるだけ避けて生きたいと考えているだけだ。
いまの日本の諸悪の根源は、雇用を廃止してコストを下げ、法人税で税収を増やすという御手洗ビジョンにあるように私には思える。
御手洗の認識はどこかまちがっていて、そのせいで私のような下流サラリーマンは大きな実害を受けているのだが、どうして御手洗たち経団連の認識はあまり問題視されないのか不思議に思う。
経団連や国のやり方が格差や貧困を生んでいるのに、まるでそこから目を背けさせるかのように歴史認識が持ち出されることに、ものすごく短絡的な政治を見てしまうのは私だけだろうか。

押井の攻殻は神話であり、神山の攻殻は人間ドラマである。

押井版の攻殻は、神山版よりも暗くて奥行きがある。
神山版の攻殻は、不安ではあっても、その正体はわかりやすく、その世界は明るくて開かれている。
画面が暗かったり、映画かTVかという違いもあるのだろうが、SAC-SSSを見てから、押井が遠景で語っている世界は、かなり上下差の激しい歴然とした階級社会であり、そこがしっかりと描かれている分だけ闇が深いということだよくわかった。

スノウ・クラッシュは、そのポップなスタイルとはうらはらに、セカンド・ライフが実現するテクノロジー世界の階級社会について扱っている。

この時代の階級社会は、同時に歴史や民族の問題が消えないということも意味している。
主人公ヒロとレイヴンはヒロインY・Tをはさんで対立関係にあるが、彼らの父親は第二次世界大戦でともに日本軍の捕虜となり、収容所を脱出したという過去を持つ。
ヒロは日本人の母親と黒人でアメリカ軍人の父親の間に生まれ、軍人の子どもとして基地のある街を転々としながらもハッキングというテクノロジーを身につけることで、自分の居場所を作ることに成功する。それがメタヴァースであり、光ファイバーネットワークに構築されたストリートでは、ヒロは自分の家を持ち、有名なクラブに出入りすることもできる。
だが、現実ではニッポニーズのスーツを着たハッカーやビジネスの世界になじめず、ピザの配達や捨てられた映画のシナリオをゴミ箱からあさったり、パーティーのオーガナイザーをして暮らしている。
レイヴンはアリョーシャン列島の先住民族アレウト族の末裔で、アメリカの核実験により父親が被爆し、自分たちの暮らしを奪ったアメリカに核を落として復讐したいと考えている。レイヴンのバイクのサイドカーにはポータブル核兵器が搭載されている。
#眠いので続きはまた次回。次回こそ「スノウ・クラッシュ」に描かれたメタヴァースを忠実に書き出したいと思う…。