波動関数の収斂

新橋駅でホームから改札へ降りる階段を下るとき、DHCの宣伝が好きになれないので目を伏せて歩きます(濃い感じなので、朝一で見るのはキツイ)。
職場へむかうたくさんの人が、押し合いへし合い先を急ぎながら、狭い階段に収斂されていく波にのまれると、自分がパチンコの玉になったような、収斂されて下に降りることはできるけど、決して選ばれることはないという感覚にさせられます。
たぶん、横からギュウギュウ押されて、無理に均される感じがそう感じさせるのだと思います。

たくさんの可能世界があるとして、それがたくさんの観測者に観察されてただ一つの現実に収斂されていく量子のような気分で、ちょっとブルーになってみました。