当時はポスト・サイバーパンクって、こういうものなんだと思って読んでいた。

イリアム・ギブスンの初期の作品は、テクノロジーに対する暗い予感、士郎正宗押井守の作品の背景で描かれているような高度なテクノロジーと絶望に満ちた社会を舞台にハードボイルドな、いまから見ると80年代的なロマンスの話だった。
それに比べると「スノウ・クラッシュ」は、キッチュでポップ、マンガ的な設定(主人公はハッカーで世界最強の剣士とか)で、なるほどこれは90年代の雰囲気が書けている、ポストサイバーパンクはこういうマンガ的な方向に行くに違いないなどと考えていた。
たしかに、最近のアリステア・レナルズとかリチャード・モーガンとか、ジャンルは少しちがってもマンガ的なものの影響が見える作品は増えている。
でも、「スノウ・クラッシュ」以降のニール・スティーヴンスンが、ナノテク・スチームパンク(最近早川で文庫化された「ダイヤモンド・エイジ」)だったり、サイファーパンク(「クリプトノミコン」第二次世界大戦時のドイツや日本の暗号を巡る話と現代のシリコンバレーベンチャーがデジタルキャッシュを作る話と交差する)だったり、独特のユーモアは共通するものの一見ことなるスタイルの作品を発表していることから思ったのは、この作家がポスト・サイバーパンクなスタイルを意図していたわけではなさそうだということだった。
それが何なのか、このエントリーを書きながら少し考えてみたい。