人の幸福のうち、何割が記号によってもたらされ、何割が肉体的・物理的なものなのだろうか?

今朝から電車でウイリアム・ギブスンの「パターン・レコグニション」を読んでいる。
ギブスンは生理的・心理的なものを記号によって表現することに長けているな、などと考えていたら、
上から下まで黒づくめでものすごく80年代的な装い(鞄はAIP)の、ベリーショートの頭に白いものが混じりはじめた女性を見かけた。
きっと、この人はそういう記号的になもので自分を武装するのが好きなのだろうけれど、
(性的な意味でなく)肉体的な幸福や満足は得られているのだろうかと考えた。
構成主義の立場からすれば、すべての肉体的な満足も何らかの記号によって構成されているわけで、
記号の混入しない純粋な肉体的体験というものは不可能なのかもしれないが。

パターン・レコグニション

パターン・レコグニション