もちろん、アレステア・レナルズの作品にもリバタリアンは登場する。

リバタリアンのなかには無政府資本主義という考え方があるが、レナルズの宇宙史では無政府民主主義が大きな勢力となっている。
話しはちがうが、ディックの作品には、リバタリアンはほとんど登場しないはずだ。ディックの作品も、頼れる親分とか黒髪巨乳娘とか、ヒゲ親父や我王が輪廻する手塚治虫のようなキャラクターシステムを持っているのだが、そのキャラクターの特徴は表面的で、表面的な特徴の下にはみな同じディックの顔がある。感じとしては、エイフェックスツインの「カム・トゥ・ダディ」のような世界だと思えばよい。
どこをむいても同じディックの顔しかなくて、皆が神経症的な恐怖におびえている寒くてコワイ世界。

ちなみにディックはこんな人です。
http://www.engadget.com/media/2006/02/pkdhead.jpg