あのころブルーハーツとその1

1989年、14歳、中学2年生の夏だったと思う。
ぼくははじめてCDとCDラジカセを買った。
どうしてもラジカセがほしくて、初めてきちんとしたアルバイトをした。
それでも少し足りなくて、親に援助してもらったような気がする。
たしかパナソニックの重低音が売りのCDラジカセで、エナメルのコートに身を包んだバクチクが宣伝していたやつだ。
CDは高くて買えなかったから、下町の友&愛でレンタルして、気に入ったCDは奮発してメタルテープにダビングして、カセットのケースの中に入っている紙も変えて、こすって貼り付けるタイプのシールで曲名を転写していた。
歌詞カードもコピーして、わからない歌詞は辞書でしらべた。
テープは毎日何回も何回も同じところを繰り返して聞いたりしていたから、読み取りヘッドがだめになってテープは先に読めなくなってしまった。それでもCDプレーヤーは使えたから、高校生の頃は友達とCDを貸し借りして聞いていた。
高校生の頃もやっぱりアルバイトをして、親に借金をしてまでフェルナンデスのギターを買ったけれど、あまり上達しなくて、大学に入る前には捨ててしまった。大学生の頃は、ブリッヂとかNo1ソウルセットとか友達の聞いていたものを聞くこともあったけれど、ほとんど音楽は聴かなくなっていた。

クラスの女子と話しをしたかったけど、できなかった。
手塚治虫が死んだときは悲しくてお風呂で泣いた。
本屋で万引きをしてつかまった。
クラスの女子はみんなホットロードを読んでいたけれど、クラスに5人は金髪アフロパーマに短ラン土管?のヤンキーがいて、どうして夢が見られるのかまったく理解できなかった。
彼らの何人かは交通事故やシンナーで死んだ。
ぼくは髪を伸ばして、化粧をして、夏の砂浜のビーチパラソルの下で黒いコートを着て、HPラヴクラフトの本を読んでいた。
何もかもがクソで、まぶしくて、手に負えなくて途方にくれていた。
それからしばらくして、ブルーハーツの2人が宗教に入信していたことを、ファンクラブのリーダーの人がオウム真理教に入信していたという手記を読んで知った。
そのときは、ファンクラブのリーダーがオウムに入信した理由は、Xジャパンのボーカルの人がどこかの宗教に入信した理由よりもわかるような気がした。

大学を卒業して、インドへ行ってから、TVのない生活を始めて6年になる。最近、TVがどうなっているのかはよく知らない。
かわりというわけではないが、ブロードバンドの恩恵を享受するために、YouTubeをよく見ている。
世界中のいろんな人の生活を垣間見ることができて、とても楽しい。
特定の地域の特定のコミュニティの人しか体験し得なかったようなローカルなネタを共有することができる。
ファミコンとかアニメとか、ずいぶんグローバルに共有されていることが実感できた。
YouTubeグローカルでサンクロニックな体験だけではなく、シンクロニックな体験も提供してくれる。
さすがにカルロス俊樹やバービーボーイズにはお目にかかれないが、大槻ケンヂが「おれのおしっこが飲みたいかー」と叫んだり、ヒロトが「リンダリンダー」と飛び上がっている映像を見ることができる。
中学生の頃は、「ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない」と思っていた。
ナイフを持つことなく、気がついたら30歳を過ぎていた。
14歳の自分は、いまの自分を決して受け入れてはくれないだろう。
でも、どこかに14歳のままの自分がいて、ときどき頭の中で大声でブルーハーツを歌いはじめるうときがある。
長生きなんかしないでもいいから、人前でブルーハーツが歌えるようになりたい。