普通の人が努力して何かを成し遂げること

今朝、ふと気がついたのですが、普通の人が努力して何かを成し遂げることに希望を持つことは、自分にもチャンスがあると信じることにすがることなのではないかと思いました。
誰にでもそんなことができるわけではないことから目を背けていたのかもしれません。普通の人が努力して何かを成し遂げられる確率も、普通でない人が成功する確率も、そんなに変わりはないのかもしれない。
ほぼゼロの可能性だということを受け入れるべきなのでしょう。

教育委員の人だって、地元の名士(なんじゃそりゃ)=旧家や代々続く実業家、政治家で、彼らだって受け継いだものを細々と保守として続けるだけで革新的なことができるわけでない(権力を持っている人が力を行使するのは実害があるというちがいはあるにせよ)。

可能性がほぼゼロでも、そこを目指してしまうのが希望なしでは生きられない人のサガってやつですね。