なぜ人を殺してはいけないのか

今朝新橋のパチンコ屋のまえに、スーツを着て、地べたにあぐらをかいて開店を待っている人を見て思いついたことです。

みんながソレを信じていて、自分もソレに参加したいと思うなら、少なくともソレを信じているフリをしなければならない。

人を殺してはいけないってことは、ないんだと思います。
ただ、人を殺してはいけないと信じている社会があるだけで。
常識とか、考えれば何をしちゃいけないかわかるとか、それは、そうだったらいいなーという幻想です。
共有されていないものには何の効力もない。

ぼくだってスーツを着ていても、なんのためらいもなく地べたにあぐらをかいて座れます。いまは必要ないし、めんどうだからしないだけで。でも、そんなこと非常識だと思う人がいる。
そこで常識は共有されていない。
だから、人を殺してもべつにいいと考えている人に、人を殺してはいけないことを強要させる手段は、法とか暴力しかないないわけです。

もっといい方法としては、「ソレが信じられている社会のほうがいいから参加しなよ、でも少なくともルールは信じているフリをして守ってねって」と勧誘することで、そのために考えたり、書いたりするわけですが。