って、「個別の11人」そのままじゃないですか!

そこから、労働者養護より企業の納税額を優先する政府を支持すること、右傾化することでむしろ自分たちの首をしめるという当たり前の議論を導くのではなく、戦争へと飛躍する論理に、すごいなと思いつつ、ほぼ同い年の人間として、このバックボーンのちがいはなんなのかと思ってしまう。
左翼がすっかり弱体化してしまって、ほんらい保護すべき経済弱者を救えていないという感覚には同意できる。
たぶん、左翼は消費社会に勝てなかったんだと思う。弱者の救済を第一に、私利私欲はガマンしてみたいなやり方は、資本主義のなかではやっていけない。
反対や、批判することと、社会を肯定につながる消費とが共存できないから、自律の思想的根拠を失って、強く抗議したり連帯したりできなくなったんだと思う。
それこそ体制の目論んでいたことで、左翼がその戦略に抗するだけの戦略を生み出せなかったことが、赤木氏のような人を自分たちの陣営に引きつけられなくて、いまも負け続けている理由だ。ぼくだったら、問題はそのあたりにあると考える。
だから、最後の結論は、富めるものだけが富み、貧しいものはずっと貧しいままであるくらいなら、みんなが同じだけ負担を分担する社会の方がいいという古典的な社会主義的思考だと読めて、その意味では、「国民全員が苦しみつづける平等」を望むという赤木氏の主張には、諸手を挙げて賛同したい。
ただ、そのための方法が戦争しかないわけではないだろうと思うし、格差の対象を国民だけで完結していることに違和感を感じる。
一応、日本は世界一豊かな国だから、われわれが世界中の経済弱者をできる限り幸せにしたいと考えるならば、日本国民全員が赤木氏の生活水準になる必要があるんじゃないかと思う。もちろんそれだけじゃ足りないだろうから、アメリカ人とか、先進諸国の国民は総じて生活水準を落とす必要があるだろう。
そういう話なら、納得がいくし、まぁ、いつでも、生活をその水準にする心づもりは持ってサラリーマンをやっている。
また、そんなことにはリアリティーがない、戦争のほうがより現実的であると赤木氏が本当に考えているなら、チェンジメーカーの手法についてどう思うかを聞いてみたい。