もちろん、アレステア・レナルズの作品にもリバタリアンは登場する。

リバタリアンのなかには無政府資本主義という考え方があるが、レナルズの宇宙史では無政府民主主義が大きな勢力となっている。
話しはちがうが、ディックの作品には、リバタリアンはほとんど登場しないはずだ。ディックの作品も、頼れる親分とか黒髪巨乳娘とか、ヒゲ親父や我王が輪廻する手塚治虫のようなキャラクターシステムを持っているのだが、そのキャラクターの特徴は表面的で、表面的な特徴の下にはみな同じディックの顔がある。感じとしては、エイフェックスツインの「カム・トゥ・ダディ」のような世界だと思えばよい。
どこをむいても同じディックの顔しかなくて、皆が神経症的な恐怖におびえている寒くてコワイ世界。

ちなみにディックはこんな人です。
http://www.engadget.com/media/2006/02/pkdhead.jpg

SFでカッコイイと思う要素について

明日から教習所だから、断片的に下記つなぐ感じだと思う。
ブルース・スターリングの作品がカッコイイと思うのは作品に登場するキャラクターがリバタリアンだからなのかもしれない。
リバタリアニズムについては、池田信夫先生も薦める「リバタリアニズム入門」を。
自己完結的で自己責任を受け入れたキャラクターは、アイデンティティが安定しているように見えるので、アイデンティティ全般および日常生活全般に日々強い不安を感じているわたしにとってはとても魅力的に見えるのだろう。
それはおそらく、それは中学生から万年思春期の大きなオトモダチまで、いまだアイデンティティが確立していないモラトリアムな存在にとっても同じように魅力的に映るのではないか。
全部が全部とは言わないが、アニメのいわゆるクールなキャラクターは、リバタリアンだってことなのではないだろうか。
この場合の「クール」とは、新海誠の「ほしのこえ」で本人演ずる寺尾昇が、長峰 美加子が去ってしばらくして「もっと心を冷たく強く」と自分に求めたものだと考えている。
それ以外の根拠を持つクールな設定、じつは親がすごくて遺伝しているとか、そうあるべくして生まれたとか、そういう遺伝的・血族妄想的な設定は、“土人”が空想したアニメのようで、反吐が出る。
このクールさについては、深く考えてみたいのだが、ちょっと脇道に一度逸れよう。

こんなのあるんだ!

NBPC コラム:報告書「“コミックマーケット”研究」から2008年ヒット・コンテンツを予測 注目株は「人生哲学」、「家族団らん」、そしてなぜか「微生物」

「メンタル系・哲学思想系のマンガが流行っている」(女性×25歳・来場者)
「意外とシビアな漫画などが流行る。人間のもろさや 欲望などを描いたものなど」(女性×29歳・過去来場者)
「これからは、キャラクターの持つ物語が重要。人生であり経歴であり・・・」(男性×26歳・過去来場者)
「日常感の描写が手堅いこと、あるいは説得力があること」(男性×41歳・来場者)

http://consult.nikkeibp.co.jp/consult/market-news/contents/column/column24-3.html

まだ、はてブ5userしかいないよ。

?コミケ来場者/関与層のポジショニングを知る
コミケ来場者の特性
コミケ来場状況によるキーワード出現の違い
コミケ来場日、来場ブースによるキーワード出現の違い
コミケ来場者のポジショニング分析(プロシューマ度測定)
?普段の生活関心タイプから意見・意識の違いを知る
・日常生活や余暇の過ごし方別に見た、キーワード出現率の違い(クラスター分析)
・日常生活や余暇の過ごし方別のコミケ来場状況(クラスタ分析)
・日常生活や余暇の過ごし方別のプロファイリング(クラスター分析)
?関心あるコミケジャンルタイプからターゲットタイプ毎の特徴を知る
コミケの興味があるジャンル別に見た、キーワード出現率の違い(クラスター分析)
コミケの興味があるジャンル別に見た、コミケ来場状況(クラスタ分析)
コミケの興味があるジャンル別に見た、プロファイリング(クラスター分析)

概要によれば、上記のようなことがわかるらしいんだけど、「回収数10532人(コミケ来場者353人、コミケ過去来場者1000人、コミケ非来場者9179人) 」から、どうしてわかるかは謎。
そういえば、「下流社会」の三浦先生の分析も、回収数に占める実数はすごく少なかったし、分析ツールが高級だといろんなことがわかるってことかな?そのへんの統計に関することはすれみで勉強する必要がありそう。
いずれにしても、「サブカルチャーに関するコアなマニア層(いわゆる“オタク” 層)をターゲットとする商品・サービス・コンテンツの展開をお考えの商品企画担当者やマーケティング担当者」にオススメなレポートらしいので、5万円だけど誰か購入してみてください。

次回から、アレステア・レナルズはいかに最高!かという話を書くつもり。

初めて読んだのは「エウロパのスパイ」で、「90年代SF傑作選」に収録されていた。

90年代SF傑作選〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

90年代SF傑作選〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

てっきり、ブルース・スターリングが書いたものだと思いこんで、頭の中で常に多数決を迫られるコミュニティ「無政府民主主義者」という概念が重要だったから、このブログでもスターリングが書いたと書いていたが、最近翻訳された「銀河北極」に採録されていて、宇宙史のなかに位置づけられた一篇として読み直して、書き手がレナルズだと知り、あらためて感動した。
銀河北極 (ハヤカワ文庫 SF レ 4-4 レヴェレーション・スペース 2)

銀河北極 (ハヤカワ文庫 SF レ 4-4 レヴェレーション・スペース 2)

レナルズ最高!間違いなく、佐藤大とか櫻井圭紀とかもそう思っていると思う(勝手な想像だけど)。頼むから、ウルトラ属とか連接脳派とか、お気軽にアニメに引用しないでくれ。

はてなスターありがとうございます。

なんだか、自分のブログのタイトルがずっとしっくりしなくて、思い切って変えることにした。
もともと「新橋で働く元ニートのブログ」というのは、自分の現状や感覚と合っているなと思って始めたんだけど、あまりニートネタについて考えることもないし、ニートというのは、本当はこの社会に適合したくないという気持ちの表れを意味したつもりで、いまの自分とずれが生じているように感じていた。
それに、「新橋で働く〜」は、もちろん「渋谷で働く」を意識していて、あわよくば新橋のオーソリティーとしてTVでコメントできたりしないかな〜、なんて甘い考えを抱いて始めたものの、よく考えたら、新橋駅前でTV中継があったら積極的によけちゃうし、TVに出たいわけじゃなのでやめにした。
なんかいいタイトルないかな〜と考えてたら、ウラゲツブログ*1で、次のジグムント・バウマンの翻訳は「リキッド・ライフ」だという記事を読んで、液状化っていうのも違うよな〜、どっちかっていうと「断片化」が近いな〜!というわけで、実ライフの実感にとても近い、「断片化」という言葉で自分の記録をつづってみることにした。
この日記でもすでに書いたような気がするけど、毎日いろんなことを考え、ちょっとづついろんなことをやって、気がつくと成果と呼べるようなものにいっこうに出会えない。
あっちに書き、こっちに書き、ちょっと読み込んで、またあっちに書きとかやってると、断片ばかりがたまってしまって、処理速度は遅くなる一方で、誰にもいま何をやっているのかアウトが見えてこない日々になってしまう。
このブログでデフラグするぞ!

育児休暇のちがいから考えてみた

http://anond.hatelabo.jp/20080107003213#tb
はてブで注目のポストは毎日見るのだけど、たまたま関心が近そうな人の日記だったので、自分でも少しだけ調べてみた。
公務員の出生率と民間企業で働く人の出生率がどれくらい違うかという部分だけだけど。
ちょっとググった範囲ではよくわからない。
なので、育児休暇の取得率から考えてみることにした。
たぶん人口推計動態とか、人事院のリリースをよく探せばわかると思うから、誰か正しいデータを教えてください。ここで書くのはほんのちょっとググっただけの根拠のないものなのであしからず。

公務員(一般職)の育児休暇の取得については、人事院が資料を出している。
人事院<記者発表資料>
http://www.jinji.go.jp/kisya/0609/ikuji.htm
これによると、平成17年度中に育児休業が取得可能となった職員数は18,390人(男性13,308人、女性5,082人)で、このうち新たに育児休業を取得した職員は、4,825人(男性130人、女性4,695人)、育児休業の取得状況は男性1.0%、女性92.4%ということらしい。
ここでいう「取得可能」というのは、男性は平成17年度中に奥さんが出産した人(夫婦別姓とか公務員ではなしなのだろうか?)、女性は平成17年2月から平成18年2月に出産した人ということらしい。
ちなみに、この公務員(一般職)っていうのは、非現業国家公務員(なんじゃそりゃだけど、これがいわゆる公務員らしい)、検察官、現業職員、独立行政法人職員等(この「等」に郵政公社の人26万人が含まれているので、来年はかわるだろうね)の職種で、全公務員約398万人の内、国家公務員93万人の約67%(電卓たたいちゃった)を占める63万人くらいの人のことらしい。これもやっぱり人事院の就職情報サイトから。
国家公務員って何?
http://www.jinji.go.jp/saiyo/kokkakomuin.htm
トヨタ自動車の連結従業員数でも30万人だから、63万人の職場っていうのは想像もできない規模だけど、その内の1万8千世帯、2.8%(両方公務員ってダブルインカムな人もいるはずだけど、おいておいて)のご家庭にお子さんが生まれているらしい。平成13年の5千7百人をピークに、平成15年以降は4千人台後半で育児休暇を取得しているので、毎年1万5千〜2万世帯でお子さんが生まれていると思われる。
おめでたい話です。ぜんぶ税金だけどね。
注目したのは、育児休業の取得期間。
平均が12ヶ月で、最多が「9ヶ月長12ヶ月未満」で36.7%の1770人(また電卓たたいちゃった)。約70%が9ヶ月以上取得をしていて、最長3年とれるから、24ヶ月超の人も381人(7.9%)もいる。
この数字が悪いって話ではなくて、公務員が1−3年の育休がとれるなら、民間企業も同じ水準になるように保証制度を整えるべきじゃないのというのが正直な感想。
というのも、労働政策研究所(もうすぐ潰れそう)が行った調査によると、民間企業での取得期間は、最多が「10−12ヶ月」の24.3%だけど、10ヶ月以下の人が約52%くらいいるらしい。
独立行政法人 労働政策研究・研修機構/統計情報:動向調査:育児や介護と仕事の両立に関する調査
http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/doko/h1507/index.html
人事院の統計とちがって、平成15年の調査だし、従業員数のサンプリング比率がわからないけれど、日本企業の99%(たしか総務省の統計ではそれくらいの比率だったはず)を占める中小企業の実態として、5割の人が10ヶ月以下の育児休暇で、公務員の7割が9ヶ月以上って、どういうことだよ?!なんじゃないかと思う。
税金を払ってる側の育児休暇が短いのは間違いないのだから、何かがおかしいのは間違いないと思う。
ちなみに、同調査によると、非正規雇用では13.8%しか育児休暇が取得できないらしい(母数が2781社だから当てにならない数字かな)。この数字は、雇用期間が決められている派遣労働者を含みません。
ぜんぜんおもしろくもない話ですが、派遣労働者育児休業を取得するのはさらに困難なようです。
FAQ:qa3140 派遣労働者にも産休や育児休業の権利はありますか?
http://www.asahi-net.or.jp/~RB1S-WKT/qa3140.htm
平成18年度の派遣労働者数は昨年末に発表があって、対前年で26%増の321万人に達したそうです。
厚生労働省:新着情報
http://www.mhlw.go.jp/new-info/index.html
06年の出生数の合計は109万2662人で、出生率は1.32でした。07年の出生率はこれから発表になるでしょう。
計画的に出産をする場合、自分の職場で育児休暇が取得できるかどうかが、(とくに働く女性にとって)絶対条件だと思います。だから、合理的に正しい選択としては、出産を予定している女性は、決して派遣労働者ではなく公務員になるべきだということです。
正しい選択だけど、選択肢を提供している社会はあきらかにおかしい、そんな感じかなと。
調べてみると、それなりにいろんなことがわかるけど、おかしいのは社会で、かつそれを支えている国家(公務員)だから、どうすることもできないね、そんな結論だとむなしいわけですが…。

むなしさについて

どうしてもほしいフィギュアがあって、何千円もつぎ込んだ後に、やっぱりほしいフィギュアが出なくて、いらないフィギュアの山ができていたりするととてもむなしい気分になります。
「ああ、なんでこんなものに何千円も使ってしまったのだろう…。これだけのお金があればもっと有意義なものが買えたのではないだろうか?お金さえ出せばかえるぷれい・すてーしょなりーのスペシャルエディションとか…」
たぶん、ほしいフィギュアが出たとしても、やっぱりどこかむなしい気分が残ります。
やった!と思っても、同時にそのうちに見向きもしなくって、誇りをかぶっているフィギュアを発見してしまうことをわかっているからです。でも、どんなものでも消費によって手に入れることのできる満足はそんな者だと思います。
それで、今日は、むなしさは価値の喪失だというお話です。
ここのところ、本を読むことや本を入手することがむなしく感じていました。その原因をずっと考えていました。一つの原因として、インターネットを考えていて、本なんて買わなくても、ネットに接続していれば、毎日とても読み切れない量の文章を読むことができます。けっこうハードな思想系のものから、文学全集、本や雑誌ですら扱えないであろうホットな情報まで、人によっては本なんて買わなくても十分に一生楽しめるくらいの品揃えがインターネットから入手することができます。
あと、ネットがやばいなと思うのは、こっちから強く能動的に探しに行かなくても、RSSを登録しておくだけで、それが当たり前に思えるくらい何気なく、いろいろな意見をたたき込んでくれます。各方面の識者のブログを登録しておくだけで、毎日、自分が考え出すことのできるよりもはるかに良質な思考を提供してくれます。レバレッジシンキングってやつです。しかも一人ではなく、十人でも百人でも誰かしらが何かしら切れ味の鋭いことを教えてくれます。
そういう言説をあびるほど甘受していると、何かわかったような気がしてくるし、それでいて何一つ自分の者ではないことに気がついて、自分には何かできるのだろうかと、とても不安な気持ちになります。
焦ってまたRSSを増やしたりすると、さらなる悪循環に陥って、毎日がフィードを追うことに費やされているような気になります。そのうち、フィードの読み過ぎでむなしくなって自殺、フィードリーダーを規制なんて事件が起こってもおかしくないのではないかと。
実際、一日に2000フィードくらい見ると、ウエブ上の一日の出来事の5分の1くらいはカバーできるのかもしれません*1そうやって情報を大量に摂取して、そこからあうトップとして何かを作ることのできる人もいるでしょうし、情報の差異が価値を生むようなフィールドではそれもありかなと思います。
でも、何かむなしい。
本を読んで内容を自分のものにすることは有意義なことですが、検索すればすむようなことを、わざわざ時間をかけて覚えることに価値があるかどうかと考えると、覚えるという行為・時間がむなしいものに感じられることがあります。これを敷衍して、検索すればわかることを考えることに何か意味があるのかと考えると、いまはまだまだ検索エンジンに答えられないことがあるので、ふふんという気分でいられますが、女のこととのつきあい方から、いやな仕事の断り方まで、人生のあらゆる問題を検索が解決するようになると、真剣に考えることに意味があるのか、問われる時代もやってくるような気がしています。
まぁ、そんなことはもうずいぶん前からわかっていたことです。
ここにきて、むなしさを感じることに拍車がかかっているのが、amazonkindleの登場によって、物体としての書籍が限りなくゼロに近づいて、そういう質量ゼロの知識を所有できる可能性が大衆化していることなのだと思います。
個人的には、「知」はブルジョアのもので、自分はそこから簒奪しているんだという思いがありました。同時に、お金のない自分には最新の高級な本は買えない、買えないからついて行けなくてもしがたがない、本を買うことでそのコミュニティに参加できる、本を所有しているだけで賢くなったような気がする。そういう幻想のすべてが無効化されてしまいました。
本当なら、「知」のもっていた物質的な呪縛の鎖が一つ砕けたことを喜ぶべきなんだと思います。日本は再販制度とか東・日販が制度を牛耳っている状況で、DRMのようなものが書籍に登場するのすらだいぶ先の話のような気がしますが、本がネットで落とせて、何百冊でも何千冊でも自由に所有できることは、音楽を解放するよりもはるかに強力な社会変革要因となりえます。
その事実には乾杯をしたい!し、はやくkindleを日本語対応にしてほしい!
でも、自分の中の物質的な「知」に価値を見いだしていた部分、それはいまの自分のほとんどの部分で、たぶん現在の大学院制度とか、社会階級のいくつかを作っている部分と同じものが、そこに価値がないと宣告されることによって、むなしさを感じているのだと思う。
むかし、チベット仏教をかじったときに、生産的な無という概念があることを知った。
戯れとかリラとかは、もう恥ずかしくて口にはできないけれど、これは生産的な無なのだと観られるようになれたら、いま感じているむなしさも、青空のような自由として呼吸できるようになるのだろうか。

*1:後日試算をぐぐってみます。